Hideki Asano 浅野 秀樹
浅野秀樹 1972年 東京生まれ。

1980年代からキックボクシングに熱中し試合も出場。
90年代になり、国内で様々な仕事に従事しながら、西欧・東欧・ロシアなど各地を旅行した。
欧州の旅を終えると、急に日本に目が向くようになり、
1999年に、シーカヤックによる単独北海道沿岸を73日間かけ一周した。

その後、自然と調和ができる物づくりを目指し、2001年にニアシュタインのVDPワイナリーに研修生として働くチャンスをもらう。しかし、ここのワイナリーは目を疑うほどの厳しい環境でした。畑は荒れ放題で、数名のスタッフも素人の出稼ぎ労働者でした。

日本では農作業の経験もまったくなかったので、手探りでの作業。教本片手にトラクターを乗ったこともありました。本来なら機械でおこなう作業も、桑を片手に畑を耕したら、錆びたはさみでブドウの木の選定などを行っていました。一連の作業を見かねたニアシュタインの他のワイナリーの人がワイナリーを辞め、栽培・醸造学校へ行くことを薦めてくれました。

ほとんど夜逃げどうぜんで引越し、2002年11月、ラインランドファルツ州立オッペンハイム・ワイン醸造・栽培学校入学しました。当初は、ゲストとして入学でしたが、授業が始まるとそうはいきませんでした。

8時から14時まで毎日。栽培・醸造学だけではなく、会計、経営、マーケティング、そして英語までありました。ほぼ、毎月、テストがありその日をこなすのが精一杯でした。

授業が終わると、すぐに地元のワイナリーの人に質問しにあちこちと回りました。そんな中、2003年に偶然にJ&H.A Strub醸造のリースリング・シュペートレーゼと出会いました。

僕はすぐに、バルター・シュトゥルブ氏の元へ弟子入りを志願し、学業と平行しながら、最高のリースリング・ワイン造りの伝授を受ることになりました。

そして、2004年にはシーカヤックによる南米最南端パタゴニア、ケープホーン遠征を達成した。
チリのプンタアレーナスというマゼラン海峡の港町を小さな船で出発し、ビーグル海峡を南下、南米最南端の町「プエルト・ウイリアムス」からシーカヤックに乗り換えケープホーンを目指しました。

1ヶ月以上の遠征から戻ると、ブドウが輝いて見えました。とにかく、オリジナルワインが造りたいとう衝動にかられました。念願のケープホーン遠征を終え、ほんとうにワインが造りたいとあらためて認識しました。しかし、この遠征が予想以上に長引いたため、単位がとれず卒業が1年延びることなってしまいました。
ただ、一日でなんども変化するパタゴニアの気象。そして、大自然から多くな事を学ぶ事ができた遠征でもありした。僕の願う「自然と調和した物づくり」、これを目指すには多すぎるぐらいの収穫でした。

2005年の春に念願の栽培・醸造学校卒業後、「HIDE WINERY」として独立。最高品質のリースリングを育て、ケラーを間借りして、オリジナルのワインを造ることに挑んでいます。

北海道沿岸一周


(C)2004 hide-wine Hideki Asano